先日、うちのデザイナーの子とこんな会話をしました。
―とある工場を見ながら―
「この工場ってとても大きいですね。何を造っているんですか?」
「…車の部品じゃなかったかな?」
「そう言えば、国道沿いに立ってるこの会社の看板に車の絵が描いてありますね!」
「そう言えばそうだね。そっか、それを見て車の部品工場と思ったんだ。」
あとでHPを調べたら実際は車の部品などを造る工作機械の企業でしたが、野立看板を見た時に「工場の名前」+「車の絵」=「車の部品工場」と僕の中にインプットされたようです。
ただ、野立て看板を見たこと自体はすっかり忘れていました。言われるまで思い出せませんでした。
つまり、「何気なく見ているため、看板を見たこともその内容もすぐには思い出せない。」
しかし、「看板に描かれた内容から想像したイメージだけは、比較的早く記憶からひっぱり出せる。」
ということです。
①野立て看板を視認(映えるデザインを発見。何かな?)
②広告内容を判読(見覚えのある製造業の企業ロゴとレーシングカーの絵がある)
③広告の意図を推察(製造業+レーシングカー…ディーラーではないし…)
④結論(精密な車の部品を造っている会社か!)
①~④まで恐らく数秒。国道を運転中のことです。
結果的に僕が出した結論は間違っていたわけですが、要するに、結論④のみを自身の記憶の比較的上位層に残し、プロセス①~③は圧縮して深い階層に格納されてしまったと理解できたのです。
※これは、自動車を運転中であったことも影響しているのかも知れません。
今回、上記の会話により①~③が記憶から引き出されましたが、①~③が永久に格納されたままの事例が山ほどあるのではないかと思います。
たくさん見かける野立て看板ですが、近年空きが目立つようになりました。
不況はもちろん、ネットの大衆化による広告業界の変化も、看板数減少の理由の1つと思われます。
僕自身、看板の効果には懐疑的なところがありました。
しかし、実は野立て看板は凄く大きな広告効果を秘めているかも知れないと思い始めました。
想像以上に野立て看板は人の行動を左右しているのではないかと思ったのです。
それと同時に、出稿する際は入念にクリエイティブの熟考を重ねる必要があるとも感じました。
数秒で判読し、その結果導き出したイメージのみが後に引き出されるわけですから、短時間でどれだけ意図した結論まで辿り着いてくれるかが重要になります。
これは意外と難しいことです。
全く違うようで共通点が多い媒体といえばテレビCMでしょうか。
・プッシュ型である。
・数秒で認識してもらう必要がある。
・文章に頼れない。
・反復効果への期待が高い。
もちろん、相違点も多いのですが割愛します(笑)
野立て看板を意識するようになったのは仕事で関わるようになってからです。
特に目新しい広告媒体ではありませんが、考えてみれば奥が深いものですね。
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